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NO.61「ほ」のつく元気になった邦画「墨東綺譚」(ぼくとうきたん)

<元気コメント>
永井荷風という作家の自由な生き方に共感してついついこの映画を見てしまいます。
 
<あらすじ>
 1873年、良家の長男として生まれ育った荷風(津川雅彦)は父の意向に反し、早くから文学の道を志した。
 荷風文学の真髄は女性を描くことで、特に社会の底辺に生きる女性達に目が向けられた。
 そのため紅燈に親しむことも多く、荷風は文人たちから遊蕩児とみなされた・・・

<データ>
「墨東綺譚」
製作:1992年 ATG=東宝共同
監督:新藤兼人 シンドウカネト
原作:永井荷風 ナガイカフウ
出演:津川雅彦 ツガワマサヒコ (永井荷風)
墨田ユキ スミダユキ (お雪)
宮崎淑子 ミヤザキヨシコ (お久)
瀬尾智美 セオトモミ (お歌)
八神康子 ヤガミヤスコ (黒沢きみ)

・ 墨東(ぼくとう)、玉ノ井に咲いた可憐な娼婦お雪との狂おしいまでのロマンスを中心に、文化勲章受賞作家であり、一代の遊蕩児であった永井荷風の半生を描く。
 脚本・監督は「さくら隊散る」の新藤兼人。撮影は同作の三宅義行がそれぞれ担当

「さくら隊散る」:日本映画界の重鎮、新藤兼人監督が広島で被爆した演劇集団の悲劇を、貴重な証言などを集めて再現したドキュメンタリー作品。
  巡演先で被爆した移動演劇隊“櫻隊”のメンバーは即死こそ免れたものの、放射能による病に犯され徐々に衰弱して死んでいった。

参考:「?」東綺譚(ぼくとうきたん)
 永井荷風の小説。
 著者の最高傑作とも呼ばれている。
 1936年に執筆され、1937年(昭和12年)に私家版として発表。
 同年、東京朝日新聞に連載され、岩波書店から単行本が刊行された。
 銘酒屋街(私娼窟)である玉の井を舞台に、小説家・大江匡と娼婦・お雪との出会いと別れを、四季の移り変わりとともに美しくも哀れ深く描いている。
 『断腸亭日乗』には荷風の玉の井通いの様子が書かれており、主人公大江は作者の分身とも考えられる。
 なお、文末に「作者贅言」なる章が付いており、銀座のカフェー風俗や亡友の思い出などが綴られている。
 舞台となった玉の井は関東大震災の後、浅草にあった銘酒屋街(私娼窟)が移転してきたもので、現在の東武伊勢崎線東向島駅(旧名・玉ノ井駅)付近である。
 なお、「?」は永井荷風の創作漢字で隅田川(墨田川)を指す。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
(もう一つの「墨東綺譚」)
「墨東綺譚」
製作:1960年 東宝
監督:豊田四郎
出演:山本富士子、芥川比呂志、新珠三千代、乙羽信子

・ 永井荷風の没後一周年を記念して、豊田四郎監督が同名小説を映画化した文芸作。
 東京の郊外、隅田川の東にある遊廓で中学教師・順平は、お雪という娼婦と出会い恋に落ちる。
 だが、そんなふたりの関係が、順平の妻・光子の知るところとなり…。

<「永井荷風」と言えば>
 永井 荷風(ながい かふう、男性、1879年12月3日 - 1959年4月30日)
 日本の小説家である。
 耽美的な作風で明治から昭和にかけて活躍した。
 本名は永井壯吉(−そうきち)。
 号は断腸亭主人、金阜山人。

★落語家を目指した
 1879年、東京市小石川区に愛知県士族 永井久一郎、つねの長男として生まれた。
 東京高等師範学校附属中学(現在の筑波大学附属中学校・高等学校)に編入学。
 一高受験に失敗、東京外国語学校(東京高等商業学校<現・一橋大学>附属外国語学校清語科)に入学するも除籍。
 この頃作家や落語家を目指した。
 朝寝坊夢らくに入門して三遊亭夢之助と名乗ったが父の反対で断念。
 小説家広津柳浪や歌舞伎劇作者福地桜痴の門下となった。

★近代フランスの詩人を紹介
 エミール・ゾラの影響を受けた1902年の「地獄の花」で注目を浴びた。
 アメリカ・フランスへ滞在(日本公使館や横浜正金銀行に勤務)、帰朝後『あめりか物語』『ふらんす物語』を発表。
 年下の谷崎潤一郎らとともに耽美主義の作風を示し、島崎藤村らの自然主義が中心であった日本の文学界に新風を吹き込んだ。
 また、ボードレールやヴェルレーヌら、近代フランスの詩人を紹介。
 1910年〜1916年、上田敏・森鴎外の推薦により、慶應義塾大学教授となり、『三田文学』を主宰。
 一方で、軽薄な日本の近代文明を嫌悪して江戸文化に憧れた。
 大逆事件(1910年)ののちには、封建制度のもとで芸術に沈潜していた江戸の戯作者の心境を偲び、「腕くらべ」(1916年-連載)など花柳界を舞台にした花柳小説を発表した。

★文化勲章受章
 東京大空襲で住まいを失い、菅原明朗、永井智子夫妻とともに、明石市さらに岡山市へと疎開。
 そのたびに空襲に合い九死に一生を得る。
 岡山県津山へ疎開中の谷崎潤一郎を訪問ののち、岡山市郊外の避難先に帰り、そこで終戦を知る。
 急ぎ上京。後に千葉県市川市菅野に移る。
 1952年文化勲章受章。
 1959年に79歳で没。
 侘び住まいののちの孤独死であった。

★偏喜館
 多額の遺産(2005年現在の貨幣価値で3億円以上)を残していたことでも話題を呼んだ。
 雑司ヶ谷霊園に眠る。
 ほかに、故人の遺志があった南千住の浄閑寺に、知友有志が建立した詩碑と筆塚がある。
 養子の永井永光(ひさみつ)は、荷風のいとこ大島一雄(杵屋五叟 きねやごそう)の次男。銀座でバー「偏喜館」を経営していた。
 作家高見順と詩人阪本越郎も荷風のいとこ。
 三島由紀夫とは三島の父方の祖母の実家である永井家を通して遠い親戚に当たる。

★主要作品
『地獄の花』1902年刊 巨大な富を有しながら社会から擯斥される黒淵家に、家庭教師として入った園子だが…。荷風の青春期を記念する、気魄に溢れた代表作
『あめりか物語』1908年刊 明治41年,自然主義文学の隆盛に新鮮な一撃をくわえた短篇集.文明の落差をみつめる洋行者や異郷にある日本人の胸底の思いがシアトルやセントルイス,首都,NYの描写に明滅する.「
『ふらんす物語』1909年(発売禁止) 明治四〇年七月、二七歳の荷風は四年間滞在したアメリカから憧れの地フランスに渡った。彼が生涯愛したフランスでの恋、夢、そして近代日本への絶望―屈指の青春文学の「風俗を壊乱するもの」として発禁となった初版本(明治四二年刊)を再現
『冷笑』1910年刊
『すみた川』1911年刊 母を常磐津の師匠に、伯父を俳諧の宗匠に特つ中学生長吉の、いまは芸妓になった幼馴染お糸への恋心を、詩情豊かに描いた『すみだ川』。
『珊瑚集』(訳詩集)1913年刊
『日和下駄』(随筆)1915年刊 「一名 東京散策記」の通り「江戸切図」を持った永井荷風が、思いのまま東京の裏町を歩き、横道に入り市中を散策する
『腕くらべ』1918年刊 20歳代半ばを過ぎ、花柳界にあっては「年増」と呼ばれる新橋の二流芸者、駒代。いかにも「荷風好み」と言えなくもない、幸薄い主人公である。身請けされて一時は東北へ引きこもるが、旦那と死別し、身のやる方なく再び東京の芸者屋に舞い戻る。「ああ芸者はいやだ、芸者になれば何をされても仕様がない…」と心の内では嘆くものの、他に行き場があるわけではない。虚栄と打算の渦巻く非情な世界で、駒代が恋の「腕くらべ」に破れて落ちていく様が描かれる
『おかめ笹』1920年刊 一切の抒情性を排し色欲と金銭欲にこり固った画家、元知事一家の醜猥さを滑稽小説に仕立てた特異な作品
『つゆのあとさき』1931年刊
『?東綺譚』1937年刊
『断腸亭日乗』(一部は1947年刊『荷風日歴』) 永井荷風(1879‐1959)は38歳から79歳の死の直前まで42年間にわたって日記を書きつづけた。断腸亭とは荷風の別号、日乗とは日記のこと。岩波版全集で約3000ページにのぼるその全文からエッセンスを抄出し読みやすい形で提供する。この壮絶な個人主義者はいかに生き、いかに時代を見つづけたか

★荷風の住まい
1879年 東京府東京市小石川区金富町(現・文京区春日二丁目)に生まれる
(生家の思い出を小説『狐』に書く)
1902年 東京市牛込区大久保余丁町(現・新宿区余丁町)に転居
1903年-1908年 アメリカ、フランス滞在
1918年 東京市京橋区築地(現・中央区築地)に転居(断腸亭)
1919年 東京市麻布区市兵衛町(現・東京都港区六本木)に転居(偏奇館)
1945年 岡山県に疎開
1947年 千葉県市川市に転居

★ 結婚・女性
1912年 斎藤ヨネと結婚。兼ねて馴染みの新橋芸者の八重次に入れ込み、家庭を顧みず
1913年 父の死後まもなく、ヨネと離婚
1914年 八重次と結婚、弟威三郎と絶縁 八重次は本名内田八重(1880-1966)。後の日舞藤蔭流初代家元藤蔭静枝。
1915年 八重次と離婚
生涯の間に交渉を持った女性の思い出を1936年1月30日の日記に書いている。
子どもを設けたくないと思い、必ず避妊具を使用していたという。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

NO.60「ヘ」のつく元気になった洋画「北京の55日」
「北京の55日」(ぺきんのごじゅうごにち)

<元気コメント>
 その時、その場所に存在した者は、行ったことが後に歴史として後世に語り継がれるなどとは思いもしないだろう。
 だが、その時代に生きた重みを、今の自分も背負っているのである。 

<あらすじ>
 1900年の初夏、山東省に蜂起した義和団は清国に進出した西欧勢力とキリスト教徒を本土から追放しようと勢力を増し、ために北京城の外国人たちの不安は高まった。
 この頃ルイス少佐(チャールトン・ヘストン)の米海兵隊が北京城に来た。
 秘密に包まれた紫禁城の奥で、清朝の西太后(フローラ・ロブソン)が側近の端郡王(ロバート・ヘルプマン)と寵臣栄緑将軍(レオ・ゲン)たちの密議中で義和団の力を利用して外国勢力を一挙に国外へ追放することを決め、団を蔭で後援することにした・・・

<データ>
「北京の55日」(55Day at PEKING)

製作年:1963年 アメリカ アライド・アーチスツ配給
監督:Nicholas Ray ニコラス・レイ
出演:Charlton Heston チャールトン・ヘストン (Major Matt Lewis)
Ava Gardner エヴァ・ガードナー (Baroness Matalie)
David Niven デイヴィッド・ニーヴン (Sir Arthur Robertson)
Flora Robson フローラ・ロブソン (The Dowaher Empress Tsu Hsi)
John Ireland ジョン・アイアランド (Sergent Harry)
Harry Andrews ハリー・アンドリュース (Father de Bearn)
Leo Genn レオ・ゲン (General Jung lu)
Robert Helpman ロバート・ヘルプマン (Prince Tuan)
Kurt Kasznar カート・カズナー (Baron Sergel Ivanoff)

参考:義和団の乱(ぎわだんのらん)
(義和団の発生)
 乱の主体となった義和団は山東省に発生した。
 19世紀末、山東省ではドイツの進出が目立つようになり、それに伴い仇教事件(外国人宣教師やその信者たちと、郷紳や一般民衆との確執・事件)が頻発するようになった。
 国家権益の点から山東省をドイツは重視していたが、該省は孔子の生地である曲阜をもつ地でもあるため、キリスト教布教のためにも一石を投じんとドイツは特に重視していた。
 熱烈な布教活動はその反動として民衆の排外的な感情を呼び起こし、時を追うごとに高まっていったのである。
 義和団は、 太平天国における拝上帝会のようにその起源を単一のものに特定できない。
 そのためもあって白蓮教的な拳法に由来するという説と、団練という地方官公認の自警団に求める説とがある。
(乱)
 中国清朝末期の動乱である。
 当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、1900年に西太后がこの反乱を支持して欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった。
 だが、宣戦布告後2ヶ月も経たないうちに欧米列強国軍は首都北京及び紫禁城を制圧、清朝は莫大な賠償金の支払いを余儀なくされる。
 この乱の後、遅まきながら西欧風の政治改革の必要性を認識した西太后は、かつて自らが失敗させた戊戌変法を手本に所謂「光緒新政」を開始した。
 なお、本稿では「義和団の乱」で統一するが、義和団事件・義和団事変・北清事変(ほくしんじへん)との呼び方もある。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

<「北京の55日」と言えば>
★歴史大作
 1900年中国で勃発した義和団事変の史実に基いて「エル・シド」のフィリップ・ヨーダンがバーナード・ゴードンと共同で脚本を執筆、「キング・オブ・キングス(1961)」のニコラス・レイが監督した歴史スペクタクル。
 撮影は「戦場にかける橋」のジャック・ヒルドヤード、スペクタクル・シーンは「史上最大の作戦」のアンドリュー・マートンがあたっている。
 音楽は「ハイ・ヌーン」のディミトリ・ティオムキン、製作は「エル・シド」のサミュエル・ブロンストン。
 出演者は「エル・シド」のチャールトン・ヘストン、「渚にて」のエヴァ・ガードナー、「好敵手」のデイヴィッド・ニーヴン、「史上最大の作戦」のレオ・ゲンに「ロミオとジュリエット」のフローラ・ロブソン、「スパルタカス」のジョン・アイアランド、ロバート・ヘルプマン、伊丹十三、ポール・ルーカスなど

「エル・シド」:祖国存亡の危機に立ち上がったスペインの英雄、エル・シドの半生をチャールトン・ヘストンを主演に迎えて描いた壮大な歴史劇。
「キング・オブ・キングス」:キリストの奇跡の生涯を描いたスペクタクル歴史劇、監督は「理由なき反抗」のニコラス・レイ。ローマ帝国の統治下で弾圧され希望を失いつつあったユダヤ民族の唯一の救いは、首都・ベツレヘムに生まれると予告された救世主の出現のみだった…。
「戦場にかける橋」:日本軍とその捕虜の英国軍が、架橋建設工事という目的のために一致団結するが・・・。
「史上最大の作戦」:1944年6月4日未明、独・ロンメル元帥は休暇を取って家族のもとへ帰ろうとしていた。同日、連合軍アイゼンハワー最高指揮官により上陸作戦遂行の決定が下された。第二次大戦において連合軍側に徹底的勝利のチャンスを与えたノルマンディの攻防戦を描いた巨編。
「渚にて」:1964年、第3次世界大戦…核戦争が勃発。世界全土に放射能汚染が広がり南半球のオーストラリア周辺の一部を除いて、人類は絶滅してしまった。本国に帰還できなくなった米国の原子力潜水艦はメルボルンに入港するが…。
「ロミオとジュリエット」:15世紀半ばのイタリア。ヴェローナの名門、モンタギュー家とキャピレット家は互いに激しく反目し合っていた。ある日、モンタギュー家の一人息子・ロミオは、想いを寄せている女性がキャピレット家の仮面舞踏会に招待されているという噂を聞きつける
「スパルタカス」:紀元前1世紀ローマ帝国、奴隷スパルタカスは剣闘士としてある富豪に売られた。見世物として命を懸けることに不満を募らせたスパルタカスは奴隷たちによる叛乱軍を組織する。

★大作主義(たいさくしゅぎ)
 アメリカ合衆国において1950年代から1960年代にかけて起った、映画製作の流行のこと。
 歴史を題材とした作品が多く、膨大な費用、著名な俳優(スター)の大々的な登用、長い放映時間という特徴を持つ。
 セシル・B・デミルの『十戒』(1956年)を出発点とし、ジョセフ・L・マンキウィッツの『クレオパトラ』(1963年)を一つの頂点とする。
 『クレオパトラ』は当時の金額で宣伝費等を含めると数十億円程度が投入されたと言われ、今日の金額に換算すると数百億円以上に相当すると思われる。
 サミュエル・ブロンストンは幾つもの大作主義の作品を創り上げその名を上げた名物映画プロデューサーだったが、必ずしも全ての作品で成功を収めたわけではなく、結局大きな借財を残したままハリウッドから立ち去ってしまった。

「十戒」:旧約聖書をモチーフに、モーゼがイスラエルの民をエジプトから脱出させる姿を描いた史劇スペクタクル。イスラエル人でありながらもエジプトの王室で育てられたモーゼは、素性を暴かれて追放される。やがて、荒野をさまよう彼に神の啓示がくだる。
「クレオパトラ」:紀元前48年、内乱が続くエジプトにローマ帝国が侵攻。統治を行うことになったローマのシーザーは、女王クレオパトラと出会い、恋に落ちる。制作期間4年7ヶ月、総製作費4,000万ドルをかけて撮り上げられた歴史大作

(主な大作主義の作品)
『ベン・ハー』(サム・ジンバリスト、1959年):キリスト誕生から26年、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人地区の豪商の息子、ベン・ハーは新しい指揮官として到着した幼馴染みのメッサラと再会する。祖国を捨てたメッサラを許せないベン・ハーだったが、ベン・ハーの家の屋根瓦が崩れ総監を直撃したことにより一家は反逆罪に問われ、メッサラの手で家族は牢屋に、ベン・ハーは奴隷としてローマの軍船に送り込まれてしまう。
『偉大な生涯の物語』(ジョージ・スティーヴンス、1965年):イエス・キリストの生涯を忠実に再現した史実ドラマ。ベツレヘムの馬小屋での誕生から、ゴルゴダの丘での磔、その3日後の復活までを、『ジャイアンツ』などで知られる巨匠ジョージ・スティーブンスが5年の歳月を費やして多彩なキャストで送る
『スパルタカス』(スタンリー・キューブリック、1960年)
(サミュエル・ブロンストンの制作作品)
『エル・シド』(アンソニー・マン、1961年)
『キング・オブ・キングス』(ニコラス・レイ、1961年)
『ローマ帝国の滅亡』(アンソニー・マン、1964年): ローマ帝国”は何ゆえ崩壊したのか?巨匠、アンソニー・マン監督が古代ヨーロッパ最大の繁栄を築いたローマ帝国の滅亡をテーマに描く壮大なスペクタクル歴史劇。
『北京の55日』(ニコラス・レイ、1964年)

NO.59「へ」のつく元気になった邦画「兵隊やくざ」
「兵隊やくざ」(へいたいやくざ)

<元気コメント>
 徴兵・戦争を知らない世代であっても、軍隊内部の腐敗に最下層の兵隊が力と知恵で立ち向かっていく痛快さに元気をもらいました。

<あらすじ>
 昭和十八年、極寒の地ソ満国境に近い孫呉の丘に、関東軍四万の兵舎があった。
 そんなところに、浪曲師の門を追われ、やくざの用心棒をやっていた大宮貴三郎が他の新兵といっしょに入隊してきた。
 そして、この貴三郎の指導係を命じられたのが、名門生れのインテリで幹候試験をわざとすべった三年兵・有田であった。
 星一つちがえは天地ほどの隔りをもつ軍隊で、貴三郎の倣慢な態度は上等兵達の敵意を買った・・・

<データ>
「兵隊やくざ」
製作:1965年 大映
監督:増村保造 マスムラヤスゾウ
原作:有馬頼義 アリマヨリチカ「兵隊やくざ―貴三郎一代」
出演:勝新太郎 カツシンタロウ (大宮貴三郎)
 田村高廣 タムラタカヒロ (有田上等兵)
 滝瑛子 タキエイコ (みどり)
 淡路恵子 アワジケイコ (音丸)
 成田三樹夫 ナリタミキオ (憲兵)

・有馬頼義の原作“貴三郎一代"より「世界詐欺物語」の菊島隆三がシナリオを執筆「黒の超特急」の増村保造が監督した兵隊もの。
 撮影は「ごろつき犬」の小林節雄

参考:有馬頼義(ありま・よりちか) 1918〜80。
 伯爵家の三男として東京に生まれ、第一高等学院中退。
 陸軍に入り渡満、戦後は職を転々とした。
 『終身未決囚』により29年、第三十一回直木賞受賞。
 松本清張らとならび推理小説ブームに活躍した。

参考:兵隊−兵
 軍隊用語としての兵(へい)は、軍隊の階級区分の一。
 士官、下士官、兵のうちの最下級であり、下士官の下に位置する。
 上等兵、一等兵、二等兵等に分かれる。
 徴兵制を採っている場合、兵は徴集または召集された者であるため武官ではない。
 一般に、部下を持たず、末端の職務に就く。
 例えば、歩兵の場合、分隊長や班長の指揮下で、小銃等の個人兵器を携行し戦闘を行う。
 自衛隊では、士に相当し、士長、一士、二士、三士に分かれる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

参考:二等兵(にとうへい)
軍隊の階級の一。
 兵の最下級であり、すなわち軍人の最下級である。
 士官学校等の幹部養成を経ない場合は、多くの場合ここからの階級になる。
(初年兵)
 大日本帝国陸軍では、在営期間が2年間となって以降、二等卒(後に二等兵に改称)は「初年兵」ともよばれ、部隊で先輩の一等卒(後に一等兵と改称。古兵とよばれた。)からビンタを始めとし激しく暴力的ないじめを含む厳しい初年兵教育(単なるストレス解消を含む)をうけ、半年後以降に一等兵に昇格した。
 また、翌年新たに初年兵が入営すると、かつての初年兵は同じように新兵の指導に当たるのであった。
 二等卒である期間は、時期によって異なり、日清戦争の頃では木口小平喇叭手は入営してから1年半程度経過して、戦死の時点では歩兵二等卒であった。
 自衛隊では2士(2等陸士・2等海士・2等空士)が二等兵に相当する。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

参考:一等兵(いっとうへい)
 軍隊の階級の一。
 兵に区分され、上等兵の下、二等兵の上に位置する。
 一般に、軍人としての所作や小銃の運用技術等の基本的な訓練課程を終えると一等兵に昇任する。
 大日本帝国陸軍では、現役期間が2年間となって以降では、入営から半年後に受ける第一期検閲を終えると、一等兵に昇任した。
 殆どの兵は、一等兵で除隊し、予備役になった。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

参考:上等兵(じょうとうへい)
 軍隊の階級の一。
兵に区分され、伍長または兵長の下、一等兵の上に位置する。
 大日本帝国陸軍では、1938年に兵長が設けられるまで兵の最高位にいた。
 ここで言う最高位は、上官という意味ではなく、最先任という意味での最上位である。
 しかし、殆どの兵にとって上等兵は一挙手一投足を見習わなければならない最古参の「先輩」であった。
(週番上等兵)
 一等兵の中から選ばれた者が、上等兵候補者特別教育を受け、さらにその一部が、上等兵に昇任した。
 この教育を受けて上等兵になった者は、除隊の際に下士官適任証が交付された。
 この適任証は優秀と認められた一等兵にも交付されることがあり、除隊と同時に形式的に上等兵になる者もいた。
 上等兵になると、防災、防犯、風紀の取り締まり、人員の確認などを行う週番上等兵などの任務に当たった。
 また歩哨も一等兵には敬礼しなくても、上等兵には敬礼をしなければならなかった。
 上等兵の中からさらに選抜された者が兵長(1941年の改正までは伍長勤務上等兵)となった。
 上等兵は陸軍士官学校予科を修了した者が、本科に入る前に隊付を経験する際に最初に与えられる階級でもあった。
  将校にのみ与えられる当番兵も付いた。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

参考:関東軍(かんとうぐん)
 大日本帝国陸軍の総軍の一つ。
 南満州鉄道附属地警備を目的とした守備隊が前身で、大正8年に関東軍と改称する。
 司令部は当初旅順に置かれたが、満州事変後は満州国の首都新京(現・吉林省長春)に移転。
 名称は警備地の関東州に由来する。
 張作霖爆殺事件や満州事変において関東軍が政府の方針に従わず独断で軍事行動を行った事等から批判がある。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

<「兵隊やくざ」と言えば>
 1965年から1968年にかけて大映で8本、1972年に勝プロ製作・東宝配給で1本作られた。
 全作に登場するレギュラーは、勝新太郎(大宮貴三郎役)と田村高廣(有田上等兵役)だけで、ゲストとして勝にからむ女優が毎回登場した。
兵隊やくざ (1965)
続・兵隊やくざ(1965)
新・兵隊やくざ (1966)
兵隊やくざ脱獄 (1966)
兵隊やくざ大脱走 (1966)
兵隊やくざ 俺にまかせろ (1967)
兵隊やくざ殴り込み (1967)
兵隊やくざ強奪 (1968)
新兵隊やくざ 火線 (1972)

NO.58「ふ」のつく元気になった洋画「プリティ・ウーマン」

<元気コメント>
 エグゼクティブならこうありたいという男性の一つの理想像と、逆境の中からふとしたキッカケで新たな可能性を実現するため再起しようとする女性の姿に。

<あらすじ>
 企業買収を繰り返す実業界の一匹狼エドワード・ルイス(リチャード・ギア)。
 ふとした言葉の行き違いから恋人と別れた夜、ハリウッドの路上で道案内を頼んだストリート・ガール、ビビアン・ウォード(ジュリア・ロバーツ)を気まぐれ半分で高級ホテルの自分の部屋に呼ぶ。
 ビビアンにとってそれは見たこともないような眩い世界であった。
 そしてエドワードにとっても無邪気さの中に知性を隠し持つビビアンとの出会いは新鮮なものだった。
 翌朝、エドワードはビビアンに1週間の間、自分のアシスタントとしてそばにいてくれと頼む・・・

<データ>
「プリティ・ウーマン」(PrettyWoman)
製作:1990年 アメリカ タッチストーン映画=ワーナー・ブラザース映画配給
監督:Garry Marshall ゲイリー・マーシャル
出演:Richard Gere リチャード・ギア (Edward Lewis)
   Julia Roberts ジュリア・ロバーツ (Vivian Ward)
   Ralph Bellamy ラルフ・ベラミー (James Morse)
   Jason Alexander ジェーソン・アレクサンダー (Philip Stuckey)
   Laura San Giacomo ローラ・サン・ジャコモ (Kit De Luca)

・ハリウッドの路上に立つコール・ガールがビジネス・エリートと出会ったことから幸福をつかむまでを描く現代版シンデレラ・ストーリー。
 エグゼクティヴ・プロデューサーはローラ・ジスキン、製作はアーノン・ミルチャンとスティーヴン・ルーサー、監督は「フォエバー・フレンズ」のゲイリー・マーシャル、脚本はJ・F・ロートン、撮影はチャールズ・ミンスキー、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワードが担当。
 出演はリチャード・ギア、ジュリア・ロバーツほか

「フォエバー・フレンズ」:『ステラ』『ローズ』などで、女性に根強い支持を受けているベット・ミドラーが自ら製作・主演した、性格も生き方も異なる2人の女性の、30年以上にも及ぶ友情を描いた感動作。           主題歌「愛は翼にのって」はグラミー賞を獲得した

参考:ジュリア・ロバーツジュリア・ロバーツ(Julia Roberts、本名 Julie Fiona Roberts、1967年10月28日-)
(両親ともに俳優)
 アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身の女優である。兄のエリックも俳優。姪のエマ・ロバーツも女優。
 両親ともに俳優で、彼女が幼いときはアトランタで演技学校を経営していた。
 両親はジュリアが幼い時に離婚したが、俳優になった兄エリック・ロバーツを訪ねてゆくうちに自分も女優を志すようになったと言う。
 高校卒業後にニューヨークに出て演劇学校に通いながらオーディションを受ける日々を送る。

(アカデミー賞受賞) 
 1988年に映画デビューし、翌年の「マグノリアの花たち」でゴールデングローブ賞 助演女優賞を受賞して注目される(初のアカデミー賞候補にもなった)。
 そして1990年、リチャード・ギアと共演した「プリティ・ウーマン」で、エレガントに変身するコールガールを演じ、彼女の当たり役となる。
 映画は大ヒット、彼女自身もアカデミー賞にもノミネートされ、スターの座をつかむ。
 2001年には「エリン・ブロコビッチ」で同賞の主演女優賞を受賞。
 現在、彼女の映画一本当たりの出演料はハリウッド女優トップクラスの2000万ドル以上と言われている。
 「マグノリアの花たち」:ハリウッドを代表する6大女優が夢の競演を果たし、女性同士の友情と母親の愛と死、新しい生命の誕生を綴った感動の人間ドラマ
 「エリン・ブロコビッチ」:無職のシングルマザー・エリンは、交通事故をきっかけに強引にポジションを得た弁護士事務所で、恐ろしい環境汚染の実態を知る。正義感と情熱だけを武器にし、大企業を相手に勝ち目の無い訴訟に敢然と挑む史上最大級のヒューマンドラマ

(出産後初仕事、ブロードウェイ・デビュー)
 プライベートではキーファー・サザーランド、リーアム・ニーソン、ダニエル・デイ=ルイス、ディラン・マクダーモット、ジェイソン・パトリック、ベンジャミン・ブラットらとの交際歴があるが、1993年にカントリー歌手のライル・ロベットと結婚している。
 二人は1995年に離婚。
 2002年には映画カメラマンのダニエル・モダーと結婚し、2004年11月に男女の双子を出産した。
 2006年に出産後初の仕事としてブロードウェイの舞台作品「Three Days of Rain」に出演し、ブロードウェイ・デビューを果たした。
 舞台俳優ではない彼女に対する劇評は芳しくなかったが、チケットは最初の週だけで驚異的な売り上げを記録し、商業的には大成功している。。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

参考:リチャード・ギア(Richard Tiffany Gere,1949年8月31日 - )
(仏教信者としても有名)
 アメリカ合衆国の俳優。ペンシルバニア州フィラデルフィア出身。アイルランド系。
 ギアはAngloアイルランドの降下のユダヤ人親にフィラデルフィア、ペンシルバニア州で生まれた。
 マサチューセッツ大学で哲学を学んでいたが中退し、俳優を志した。
 舞台で活躍し、1975年に映画デビュー。
 仏教信者としても有名で、ダライ・ラマ14世を熱心に支援している。
 このため、中華人民共和国政府によるチベット民族大虐殺について中華人民共和国政府を激しく非難している。
 日本国の首相小泉純一郎と顔が似ていると報道され、ギア本人もそれを認めた。
 また、2005年に来日した際には、小泉首相を表敬訪問し、主演した映画にちなんで一緒にダンスを踊るというパフォーマンスを見せた。

(念仏堂をアメリカの別荘に移築)
 日本好きとしても知られ、度々来日している。
 1991年にはスーパーモデルのシンディ・クロフォードと結婚したが1995年に離婚。
 その後女優のキャリー・ローウェルと再婚した。ベジタリアン。
 黒澤明監督の「八月の狂詩曲」に出演した際、劇中で使用された念仏堂のオープンセットを解体して、アメリカの別荘に移築した。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
「八月の狂詩曲」:それはおかしな夏でした。そう、あの手紙から…。黒澤明監督が村田喜代子の原作を映画化。かつて原爆を体験した祖母の許を訪れた4人の孫が体験するひと夏の出来事を描き、反核を訴える感動ドラマ

<「プリティ・ウーマン」と言えば>
★その苦難にみちた生い立ちからさまざまな愛の遍歴、そしてついに真実の愛をつかむまでを
「ジュリア・ロバーツ―プリティ・ウーマン真実の愛
著:アイリーン ジョイス (Aileen Joyce)訳:奥村 恵美 近代映画社
 「プリティ・ウーマン」で、一躍ハリウッドの売れっ子になったジュリア・ロバーツ。
 その苦難にみちた生い立ちからさまざまな愛の遍歴、そしてついに真実の愛をつかむまでを、関係者の貴重な証言を中心にはじめて明かされるエピソードをまじえて克明につづる、いま話題の全米ベストセラーの邦訳本(「BOOK」データベースより)

★ジュリア・ロバーツがバスルームでプリンスを歌っちゃう
「プリティ・ウーマン サントラ」
 映画のヒットで再浮上したロイ・オービソンの64年ヒット曲ほか,人気アーティストのナンバーがビッシリ詰まった楽しいアルバムだ(「CDジャーナル」データベースより)
1. ワイルド・ウィメン・ドゥ(ナタリー・コール)
2. フェイム90(デヴィッド・ボウイ)
3. キング・オブ・ウィッシュフル・シンキング(ゴー・ウエスト)
4. タングルド(ジェーン・ウィードリン)
5. 愛のぬくもり(ロクセット)
6. ライフ・イン・ディテイル(ロバート・パーマー)
7. ノー・エクスプラネーション(ピーター・セテラ)
8. リアル・ワイルド・チャイルド(クリストファー・オケイセック)
9. フォーレン(ローレン・ウッド)
10. プリティ・ウーマン(ロイ・オービソン)
11. ショウ・ミー・ユア・ソウル(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)

★あのラブラブ会話を英語で
「CD-ROM版 Cine Powerシリーズ プリティ・ウーマン」
 映画を使用したインタラクティブな英語学習ソフト。
 ジュリア・ロバーツ、リチャード・ギア主演のラブストーリー「プリティ・ウーマン」をまるごと収録している。
 日本語字幕、英語字幕、字幕なしの3通りのモードで鑑賞できるほか、セリフを聞いて真似て発音したり、自分の声を録音して聞き比べることができる「Listen&Repeat機能」、聞いたセリフを書き取る「Dictation機能」、単語の解説を表示する「Word&Idiom機能」などで、多面的に英語を学ぶことができる。 (「丸紅インフォテック」データベースより)



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